鬱抜けした気づきについて語る

私は人といるのが苦手だった。

コミュ力は割と高く、大体の人に好かれるので人間関係構築については得意だった。

しかし、人の気配すら苦手なのである。

 

人といるのが疲れる。

 

だから、あまり他者と共存したいと思えなかった。

 

故に結婚や恋愛も動き出すには腰が重かった。沼れる位の人じゃないとそんな疲れることしたくなかった。

 

しかし、『一人がいい』というマインドはお子ちゃまであることに気づいた。

人は本来共存して生きるべき生き物であり、他者を幸せにするからこそ心が豊かになる。

 

私は言わば食わず嫌いだった。

他者を幸せにしてないから他者といることで得られる幸福感を知らず、疲れのみ感じ取るのだった。

 

我々は他者や世界に生かされているのである。

自分が他者や世界に対して何か働きかけないのならば、それは他者の努力や優しさにタダ乗りしてるだけのずるい人間なのである。

 

普通に生きていることが感謝すべきことでいっぱいなのである。

社会に生かされている私たちは既に社会の一員であるため、社会に対して貢献しなければならない。

 

仕事をイヤイヤするのだって、『社会に貢献しなければ』という思いが小さいからだ。

 

我々は大人になれば、社会に対して働きかける必要がある。

他者と共存し、他者を幸せにする必要がある。

 

他者を嫌っていた自分と真逆の価値観に気づき、壮大な鬱抜けをした。

思えば私は自分のことばかりだった。

『あれが叶わない』『自分はこんなに苦しい』といった自分の今までの心の声がとてもちっぽけに思える。

 

自分一人のために頑張るのは限界だった。

どうしてもモチベーションを維持できなかった。

他人や社会のために頑張ると決めると、毎日張合いが出る。

全然寂しさも感じない。

『他人と比べて自分はこれがない』といった欠乏感も生まれない。


ていうか『人のため』じゃないとやる気出てこない🤣『自分のため』だと自分の欲がガソリンになると思うんだけど欲にも限界ある。

 

最高に鬱抜けした。