54日目 変化の気づき

彼は3ヶ月ほど前、私が住んでいる地域に住む予定だと言っていた。

 

しかし先日、近いうちに引越しすると言っていた。

 

あの約束は嘘だったの?!と思いはした。一日位くらい。

 

しかしすぐ忘れていたのだ。

以前だったら最高にエゴっていただろう。

しかし全くエゴっていないことに気づいた。

 

以前は彼の言動から、『上手くいきそうな証拠』を探していた。

しかし今は、彼との年月や彼に対して向き合ってきた時間、彼に対する思い、彼といる時間の楽しさに自信があるから現実の彼の言動を気にしなくいた。

50日目 彼と会った

昨日彼と会った。

 

彼と会う前から、自分がどう変化するのか彼はどんな行動をするのかハラハラドキドキだった。

 

会ったあとの感想

1.セックスもう飽きたw

前ほど気持ちよく思えないし性欲落ちたw

恋愛感情も落ち着いたのでちょっと不快に感じることもあったりなかったり笑

なんでこんなに楽しめなかったんだろう? 性=彼の嫌なところだから?

2.話すのはやはり楽しい

だから通話とかご飯行ったりはしようかなと思う

美味しいところに食べに行くの想像したらワクワクする!

3.恐らく彼が受け身なだけで自分が求めれば何でも手に入る

めんどくさいからしないけどw

4.神社に行ったおかげか、仕事に幸せを見出したおかげか全く関係性を気にしていない

彼の言動についても全く気にならんから楽しめる。

47日目の朝 変貌期?

彼のことがどうでも良くなりつつある。

恋愛への幻想が薄れ、自分の気持ちと彼の気持ちに対して自信が持てなくなっている。

私も私で他のことを頑張りたく、他のことに幸せを見出そうとしている兆しがあるので、夢中になれないのである。

また、私は今までの私がいかに子供か思い知った。

しかし、その上で彼が振り向いてくれたのであれば、それは楽しいものになるだろうなと思う。

 

勉強する気にならない。お金も使い気味。

何かが不安。

何がしたいかわからない。

しかし変貌期なのはわかる。

じっと観察してみるか。

 

勉強や生活への意欲が薄れ気味なので、彼に対するエネルギーも減らしたい。

鬱抜けした気づきについて語る

私は人といるのが苦手だった。

コミュ力は割と高く、大体の人に好かれるので人間関係構築については得意だった。

しかし、人の気配すら苦手なのである。

 

人といるのが疲れる。

 

だから、あまり他者と共存したいと思えなかった。

 

故に結婚や恋愛も動き出すには腰が重かった。沼れる位の人じゃないとそんな疲れることしたくなかった。

 

しかし、『一人がいい』というマインドはお子ちゃまであることに気づいた。

人は本来共存して生きるべき生き物であり、他者を幸せにするからこそ心が豊かになる。

 

私は言わば食わず嫌いだった。

他者を幸せにしてないから他者といることで得られる幸福感を知らず、疲れのみ感じ取るのだった。

 

我々は他者や世界に生かされているのである。

自分が他者や世界に対して何か働きかけないのならば、それは他者の努力や優しさにタダ乗りしてるだけのずるい人間なのである。

 

普通に生きていることが感謝すべきことでいっぱいなのである。

社会に生かされている私たちは既に社会の一員であるため、社会に対して貢献しなければならない。

 

仕事をイヤイヤするのだって、『社会に貢献しなければ』という思いが小さいからだ。

 

我々は大人になれば、社会に対して働きかける必要がある。

他者と共存し、他者を幸せにする必要がある。

 

他者を嫌っていた自分と真逆の価値観に気づき、壮大な鬱抜けをした。

思えば私は自分のことばかりだった。

『あれが叶わない』『自分はこんなに苦しい』といった自分の今までの心の声がとてもちっぽけに思える。

 

自分一人のために頑張るのは限界だった。

どうしてもモチベーションを維持できなかった。

他人や社会のために頑張ると決めると、毎日張合いが出る。

全然寂しさも感じない。

『他人と比べて自分はこれがない』といった欠乏感も生まれない。


ていうか『人のため』じゃないとやる気出てこない🤣『自分のため』だと自分の欲がガソリンになると思うんだけど欲にも限界ある。

 

最高に鬱抜けした。

44日目 気づき

他人といるのがストレスな自分の状態は何なのだろうと疑問に思い、本を読みまくった。

 

人に感謝が足りない

から、自分が他人にしたことに対して疲れを感じている。

 

人に感謝していたら、自然と行動しているはず。

 

私はひとに対する感謝が足りていないのかもしれないと肝に免じ、他人にできるだけギブしてみようと思う。